お菓子資料館
日本と中国の饅頭こわい
上方落語の「饅頭こわい」は、次のような内容だそうです。
若い者が集まって話をしているうちに、それぞれが自分のこわいものを言い立て始める。蛇がこわいと言う者がいれば、カエル、アリ、オケラ、クモ、ナンキンムシがこわいなどと次々に言い立てる。最後に残ったミッつぁん(砂糖蜜太郎?)が「俺は饅頭がこわい」と言い、考えただけで気分が悪くなった、と隣の部屋に引っ込んでしまう。
みんなが普段からミッつぁんを良く思っていなかったので、困らせてやろうといろいろな饅頭を買って来て、寝ているミッつぁんの枕元に積んでおいた。
すると、ミッつぁん、「こわい、こわい」と言いながら、饅頭をパクパク食べている。
「しまった」と思った連中が「ほんまは、なにが一番こわいんだ」と訊くと、ミッつぁん、「ほんまにこわいのは、熱くて渋いお茶がこわい。」
 
 
江戸落語では内容が異なり、主人公のミッつぁんも砂糖蜜太郎などといかにも甘い物好きを思わせる名前ではなく、ごく当たり前に「源さん」になっているようです。「饅頭こわい」の咄は、初め江戸のものであったのが上方へ、上方で内容が膨らみ、後にまた江戸落語に吸収されたようで、『気のくすり』(安永8年)という小咄に、
 
 
四五人集まっている所へ、痩せた色の悪い男が片息になって、がたがた震へてきて「あとから饅頭売が参りますが、私はあの饅頭がどうしても怖しうてなりませぬ。どこぞへかくして下され」といへば、物置へかくしておいて、いたづらに右の饅頭を買って、盆へ杉形に積上げ、物置の内へ入れて戸をぴつしゃり建てて押へて居るに、久しく過ぎても音も沙汰もなし。もし怖がつて死にはせぬかと明けてみれば、饅頭は残らず喰つて、口なめずりをして居るゆへ「手前はあまり怖がつたから、おどしに入れたが、そう喰つて仕廻つたは、どこがこわいのだ」といへば「アイ、この上は茶が二三ばい怖ふござる」(平凡社東洋文庫『中国笑話―江戸小咄との交わり―』松枝茂夫・武藤禎夫訳<1964>に拠る。)
 
と見えます。安永8年というと西暦1779年に当たります。江戸初期の『醒睡笑』という咄本に、
 
饅頭を菓子に出してあれば、「これは、小豆ばかり入りて位高し。われ等ごとき者の賜はるは、ありがたき」とていただく。・・・(以下略)・・・。(岩波文庫『醒睡笑(上・下)』鈴木棠三校注<1986>)
と見えますから、上の小咄に出て来た「痩せた色の悪い男」が饅頭をたらふく喰った後、今度は「茶が二三ばい怖ふござる」と言ったのも、その饅頭がよほど甘かったからなのでしょう。
 
 
江戸小咄「饅頭こわい」の原話は中国の笑話にあります。明代の文人、憑夢龍(1574~1646)はたいへん粋な人だったらしく、小説や戯曲など通俗的な文学を好み、それに関わる著作も膨大な数に上ります。その中に『笑府』という笑い話集の編著もあります。その「日曜部」に「饅頭」と題し、貧乏な男、腹がへってたまらぬので、町の饅頭屋の前を通りかかり、わざと大きな声をあげてぶっ倒れる。饅頭屋の主人おどろいてわけをきくと、「わたしは生まれつき饅頭が怖いんです」・・・という。
そこで主人、空き部屋に数十個の饅頭を入れて、その中に男を閉じこめ、大いに困らせて笑いものにしてやろうと考えた。ところが大分たってもひっそりしているので、戸を開けてみると、半分以上もくってしまっていた。そこでこれを詰ると、「どうしてか知りませんが、急に怖くなくなりました」との答え。主人怒って、「ではほかに怖いものはないのか」というと、「ほかにございませぬが、この上は茶が二、三杯怖うございます」(岩波文庫『笑府(上・下)』松枝茂夫訳<1983>)
 
と、「饅頭こわい」の原話が見えます。『笑府』は中国の笑話を集大成したと言われますが、中国では原本を早く逸してしまい、却って日本には2部が現存しています。江戸時代にかなり読まれたようです。
 
『笑府』「饅頭」のサゲは、原文で「無他、此際只畏苦茶両碗。」となっています。「苦茶」とは即ち茶のことで、特別に苦い茶を意味するわけではありません。
ところで、この「饅頭」という笑話は、同じく明代、『笑府』よりも少し早い『山中一夕話』にも「畏饅頭」という題で見えます。『山中一夕話』は李贄(1527~1602)の編だと伝えられています。こちらの方は饅頭屋を騙すのは貧乏書生で、曲がりなりにも知識人という設定になっており、サゲも「尚有畏茶臘両碗耳」となっています。「臘茶」は「_茶」と同じものでしょう。布目潮_氏の『中国喫茶文化史』(岩波現代文庫<2001>)に、元の王禎という人が著した『農書』を、「_茶は最も貴くして、製作もまた凡ならず。上等の嫩芽[どんが]を択び、細かく碾って羅[ふるい]に入れ、脳子[のうし]や諸[もろもろ]の香膏油を雑ぜ、調剤すること法の如し。印して餅子[へいし]に作り、製様は任巧なり。乾くを候[ま]ちて、仍って香膏油を以てこれを潤飾す。其の製に大小龍団・帯胯(帯_とも書き、皮のバンドの飾りのことだが、ここでは方形の固形茶)の異有り。此の品は惟だ貢献に充[あ]て、民間にてこれを見ること罕[まれ]なり」と引用し、_茶について説明しておられます。これで見ると、_茶はたいへんな高級茶で、ほとんど帝室用のものだったようです。
すると、『山中一夕話』のサゲには、饅頭屋の主人を欺いて饅頭を腹一杯食べた上に、庶民には縁遠い超高級茶を所望するという、貧乏書生のあきれた図々しさが笑いに加わります。『山中一夕話』の編者だとされる李贄が福建省は泉州の出身であったことと関係があるかもしれません。実は_茶は福建省の特産なのです。
 
 
このように、同じく「饅頭こわい」であっても、『笑府』と『山中一夕話』とではデイテールに若干の違いがあり、デイテールの違いが笑いのニュアンスに違いをもたらしていると思います。ディテールの違いと言えば、ともに「饅頭」と表記されるものの、中国の饅頭と日本のそれではまったく別物なのです。宋代に書かれた『事物起源』酒醴飲食部に、次のような興味深いエピソードが記録されています。
 
 
諸葛孔明が南方の地に孟獲を征伐しに行った時、「この辺りの風習では、必ず人を殺してその首を神に供します。」という人がいた。孔明はこの風習を改め、人の頭の代わりに羊や豚の肉をまぜ、小麦粉の生地で包んで人の頭に象[かたど]り、神に供えることにした。
饅頭が果たして諸葛孔明の発明なのかどうか、些か怪しいようですが、少なくとも明代の饅頭は、今の日本でいうところの「肉まん」みたいな食べ物だったはずです。ですから、日本の「饅頭こわい」のサゲが、甘いものを食べた後の口直しに茶が「こわい」と言っているのではなく、中国の「饅頭こわい」は食後の一服としてのお茶だったのです。