お菓子資料館
お菓子の歴史
これまで菓子に関し、菓子の歴史、菓子との生活、菓子と地域の個有性といった文化的視点からの取組みは、ほとんどなされていないようである。現在、出版されている菓子に関する書籍の大部分は地方名菓の紹介、味覚評論の類のものである。
菓子に関する体系的な研究としては、「日本名菓辞典」の著者である守安正氏の仕事がまとまっているもののように思われる。ここではこの守安正氏の研究に基づいて菓子の世界をふかんしてみたい。
守安正氏によれば菓子の発達は、上古時代、唐菓子時代、点心時代、南蛮菓子時代、京菓子・上菓子時代、和洋菓子並立時代の6つの分けられる。
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上古時代 (弥生~飛鳥時代) 
上古時代とは、大陸文化輸入以前で、菓子は「くだもの」と呼ばれ、現在のような菓子ではなく果実(※1)を意味していた。瓜、青瓜など「くさくだもの(※2)」をこれに含める説もある。この他に焼米、糒[ほしい]などの穀物の加工品も菓子の類として用いられていたようである。餅、飴もすでにあったと思われる。
  ※1…石榴[ざくろ]、梨子[なし]、柑子[かむし]など
  ※2…瓜[うりのさね]、青瓜[あおうり]、白瓜[しろうり]など
 
唐菓子時代 (奈良~平安時代)
大陸との正式な交流が開始されると、遣唐使により、さまざまな文物、物品とともに穀物の加工品である大陸の菓子が輸入された。これは「唐菓子[からくだもの]」と呼ばれ上流社会の人気を集めた。平安前期までに輸入された唐菓子は8種の唐菓子と14種の果餅であった。唐菓子の一種であるぶとは、現在、春日神社製式、下鴨神社製式、祇園神社製式として伝えられている。この唐菓子が和菓子の形成に大きな影響を与えたようである。
当時日本には製糖は伝わっていなかったので、砂糖は遣唐使によって少量ずつ持ち帰られ、薬用に利用されたようである。当時、菓子の甘味としては甘葛が用いられた。
 
点心時代 (平安後期~室町時代)
1191年、栄西によって茶が伝えられた。喫茶が盛んになるとともに茶の点心として菓子が用いられるようになり、製菓術が急速に発達した。点心とは定食と定食の間に食べる小食のことで必ずしも菓子に限らない。平安末期から鎌倉初期にかけて点心としては主として羮[あつもの]が用いられた。羮[あつもの]とは蒸物を入れた汁で48種あったという。喫茶が盛んになり、その添物(点心)として羮[あつもの]が用いられるようになると汁が不用になり蒸物のみになった。これが蒸菓子の起因になった。1341年には宋の林浄因によって饅頭が伝えられ、蒸菓子が茶道の点心の主流になった。
茶道の確立とともに茶の情緒を引き立たせる菓子が求められるようになり、干菓子や棹物などの現れが、故実や有職[ゆうそく]にこだわる趣味的で、観賞用の色彩を強め、一般庶民の生活からかけはなれたものであった。これらが京菓子の源流となった。
 
南蛮菓子時代 (安土・桃山~江戸初期)
ポルトガルなどヨーロッパ諸国との交易が始まり、ハルテ、ケジアスト、カスティラ、タルトなどの南蛮菓子が伝えられた。日本人の好みに合わないで消えたものもあるが、カスティラ、ボーロ、コンペイト、アルヘイト、カルメラ、ビスカウト、パンは今に伝わっている。
南蛮貿易の開始とともに砂糖が大量に輸入されるようになり、一般に使用されるようになった。南蛮菓子の輸入と同時に砂糖菓子の製法が伝えられ、菓子の甘味として砂糖を用いることが一般化した。
 
「あん」の発明
砂糖の使用の一般化のなかで、小豆に砂糖を加えた「あん」が発明されたのはこの頃であると考えられる。「あん」は和菓子の主要材料であり、これにより現在の和菓子の世界の基礎が固まったと考えられる。
 
京菓子・上菓子時代 (江戸時代)
茶道とともに発達した趣味的・観賞用菓子はますます攻緻優美の方向に進み「京菓子(上級菓子)」になった。京菓子は江戸にはいり、一時期江戸は京菓子全盛時代を迎えた。
この貴族趣味の京菓子に対し庶民的な長命寺桜餅、塩瀬饅頭、きんつば、大福など、蒸菓子、棹物・干菓子に江戸独特の個性をもたせると同時に、新しい雑菓子が作られた。雑菓子を除く菓子を、雑菓子に対して上菓子と呼んだ。上菓子は白砂糖の配給を受ける菓子司で作られたものであり、街上で売られる駄菓子は白砂糖の使用が禁止されたので黒砂糖が用いられた。これが雑菓子と呼ばれた。
 
日本での製糖の始まり
日本で始めて製糖がおこなわれたのは、17世紀の初め(慶長年間)である。1609年、奄美大島の直川智が琉球に渡る途中台風のため福健省に漂着し、その地でサトウキビ栽培と製糖を奨励したが成功しなかった。寛政(1789~1801)のころ紀伊で成功し、江戸末期には薩摩、紀伊、讃岐、阿波、和泉、駿河、遠江などでつくられるようになった。
 
三盆白
特に、四国地方(香川県、徳島県、高知県)で製造される砂糖は三盆白[さんぼんじろ]と呼ばれ、最高級品として珍重され和菓子に独特の風味をもたらした。現在も徳島県でわずかにつくられている。
 
和洋菓子並立時代 (明治時代)
明治の文明開化とともに、バターやミルク中心の洋菓子が紹介された。本格的な洋菓子専門の製造会社も設立され、キャラメル、チョコレート、ドロップス、ビスケットなどが一般に普及、現在の大量生産時代を迎えている。
和菓子もこうした洋菓子の影響を受けたものが作られるなど和洋菓子混合時代となっている。